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コラム
なぜ『ゲーム性』の議論は忌避されるのか(後編)
2023年2月5日(日曜日)

不思議なことに、ゲーム制作者の間では"ゲーム性"についての議論が避けられることがあります。なぜか? 前編では、ゲーム性をめぐる議論のなかで特にRPGなどの"静的なゲーム"が批判の対象となりやすい背景について考えてみました。

ただ、静的なゲームと動的なゲームのファンを分断させて「混ぜるな危険!」みたいなことを言うのは違います。好みや前提が異なるからこそ、議論を成立させるために相手が何を重視しているかを探っていきたいところです。

"動的なゲーム"、アクションゲーム全般が好きな人たちのなかには「ゲームとは、(プレイヤーである人間の)能力測定器だ」と言う人がいます。RPGのような静的なゲームを好む人からはあまり聞こえてない貴重な意見と言えます。実はゲームに求めるもの(のひとつ)は表面的なアクション要素ではなく、"能力発揮の機会"だとわかります。

動的なゲームなら、わかりやすいのは"反射神経"、"瞬発力"といったところでしょう。静的なゲームも"推理力"、"洞察力"などを発揮する機会があります。「うまくいくかわからないけど、やってみたらうまくいった。うれしい」というのが他の分野では味わえない"ゲームならでは"の特徴であり、これこそまさに広い意味での「ゲーム性」と言えるかもしれません。

ただ、映画や小説でもミステリーなら自分の推理力・洞察力を意識できますよね。反射神経だってスポーツで活かせます。

前編では「"ゲーム化"されたものを、ゲームに含まない意識があるのでは」ということを書きました。でも、逆に見れば「ほとんどのゲームは、"なにか"をゲーム化したもの」と考えることも可能です。

結局、「ゲーム性」という言葉はその定義をはっきりさせたところで意味するところの範囲が広すぎるのは事実です。議論のなかで「ゲーム性」という"大きすぎる主語"が出てきてしまったときは、ちょっと分解してみて、それぞれがなにを求めているかを探り合いたいところです。特にクリエイター・表現者なら、ひとが何を求めているかを知る機会は大切です。

大切なのは、この「なにを求めているか」を探るのに必要なのは瞬発力ではなく"洞察力"だということです。「○○にはゲーム性が足りない」などと言われてイラッとしても、そこはRPGなどの静的なゲームを好むタイプの人が議論をリードしていけたらいいなと思います。そのこと自体を、ひとつのゲームとして楽しむつもりで。

仲川正紀
誰得ドット絵芸人を名乗る野良編集者。にちよう企画班でも、文章を書いたりドット絵を描いたりしていますよ。
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