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コラム
なぜ『ゲーム性』の議論は忌避されるのか(前編)
2023年1月28日(土曜日)

「ゲーム性とは何か?」

ゲームを作ろうと思えば、あるいはゲームを遊んでいるだけでも多くの人たちが考えるテーマです。ところが、ゲーム制作者の間ではゲーム性についての議論が避けられることがあります。その理由は様々ですが、大きな原因のひとつは「ゲーム性」をめぐる議論の発端が"作品の批判"にあるからでしょう。

特にRPGというジャンルに属す作品は、なにかと「ゲーム性が低い」として頻繁に批判の対象になります。

例えば今やレジェンドと呼んでも過言ではない名作『ファイナルファンタジーVII』でさえ、発売当初は、前例のないムービーシーンの長さや、あまり歯ごたえのないゲームバランスなどを理由に「もはやゲームではない」と言われることがありました。

そこまで強く断じられるケースは例外としても、"ゲーム性"を巡る議論や意見によって、それぞれの好みについて(暗に)批判され不快な思いをする機会はこれまでに何度も繰り返されてきました。

ゲームについて、建設的に発展を望み、語り合うことは楽しく有益なことのはずなのに、うまくいかないことが多い。これはとても残念なことです。

しかし、RPGのファンのように、文章を読み、考え、プレイヤーの意志を(ゲーム側に)うまく伝えられないことにある種の苛立ちを覚える人たちこそが、議論に向いています。文章を読まずにコントローラーのボタンを連打し、話がわからなくなったら「不親切だ」と言い、作品を批判するような人たちに出会ったときに、どうしたらいいのでしょうか? このコラムではそうしたことを考えていきます。

ゲーム性の定義は

ゲーム性をめぐる議論ではしばしば「ゲーム性」という言葉自体の定義が問題視されます。「ゲーム性とはなんなのかわからない」と。

しかし、こういう"○○性"という言葉の使い方はごく単純なもので、「人間性」なら他の動物とは異なる人間の特徴や長所のことです。ゲーム性とは「映画や小説などとは異なるゲームの特徴、長所」として差し支えありません。

あるいは"Game"を「遊び」と訳して、遊び(=自由度)の幅を論じるのもありですし、スポーツなどの競技・試合も"Game"と呼ぶことを踏まえるのは当然です。本来、これらの定義についてさほど誤解を生じることはないはずです。

にもかかわらず。実際にはなにやら違う意味での「ゲーム性」が語られることがあり、議論が混乱することがあります。いったい、なぜでしょうか?

ゲーム=コンピューターゲーム?

「ゲーム性」を巡る議論に混乱をもたらす原因のひとつとして、「ゲームとは、コンピューターゲームのことである」と暗に言い替えていながら、それに気づかないことが挙げられます。

コンピューターゲーム以前からカードゲームやボードゲームのようなアナログのゲームが存在しますが、それらをゲームとして認識しない考え方もあるのです。彼らにとってのRPGの始祖は『ドラクエ』だったり、あるいは『Ultima』『Wizardry』だったり。テーブルトークRPGの存在を知らないか、逆に知っているからこそ「コンピューターゲーム"ならでは"のものであるべき」という発想が首をもたげることもあるのでしょう。

「ゲーム性=コンピューターゲーム性」と考える人たちの中には、特にアクションゲームをその前提とする人たちもいます。これには時代や、育った環境の違いが影響しているかもしれません。

例えば、ある世代にとっては昔のゲームセンターで遊べたものこそが「ゲームだった」という"想い"は、簡単に否定して良いものではありません。コンピューターゲームにおいて、RPGのような"静的なゲーム"は比較的遅れてやってきた移民のようなものだったとも言えるのですから。

逆に「むしろその世代なら、トランプやスゴロクで遊んだことあるでしょ?」と思わなくもありません。しかし、それらのアナログゲームは紙などを使ってターン制で展開するものがほとんどなので、アクション要素を持たせることは困難です。そもそも、前提として「ゲームとはコンピューターゲームのことで、そしてアクション要素こそが他にない特徴だ」と思っていれば、アナログゲームの多くを"ゲーム"として認識しないことはそれほど不思議なことではありません。

RPGはゲームにあらず?

また、コンピューターゲームの分野では「何をゲームに含まないか」という議論もたびたび繰り返されてきており、その前提は人によって異なります。

ゲームセンターには古くから麻雀などのアナログゲームを「コンピューターゲーム化」したものがありましたが、これもあくまで「ゲーム化されたもの(=コンピューターゲームとして生まれたものではない)」と見ることができます。同様に「コンピューターRPGは、テーブルトークRPGを"ゲーム化"したもの」と見れば、RPGをゲームとして"下"に見るような意識が芽生えても不思議ではありません。

実際には、アナログゲームをコンピューターゲーム化するのは、いまでも難しい側面があります。アナログゲームは人間ならではの曖昧さによって成立している部分が多くあり、それをコンピューターに任せるには(まだ)限界があるのは当然です。

そもそも、アイディアというものはアナログなもの。コンピューターゲームのためのゲーム性の議論だからといって、その前提をコンピューターゲームに限定する意味はありません。

(つづく)

仲川正紀
誰得ドット絵芸人を名乗る野良編集者。にちよう企画班でも、文章を書いたりドット絵を描いたりしていますよ。
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