例えば、塀の上に猫がいたとして。
なでたいな~と思ってちょっと近づくと「にゃーん」なんて鳴かれて。
歓迎された気になって「こんにちは~!」なんて返事をしつつ手をのばしたくなるところですが、ここでの正しい振る舞いは、目を逸らして後ずさることでしょう。
猫が鳴くときは、基本的にストレスを感じているとき。「はらへった」「さむい」「あつい」「あっちいけ」といった"要求"を周囲に訴えます。
逆に、幸せにしているとき猫は静かにしています。人も、猫がそばにいて静かにしていることに幸福を感じられたら、やっと少し「相思相愛」みたいに思っていいのかもしれません。
でも飼い猫だと、ごくまれに「ここにおれ」と言ってくれているようなときもあって。たいていは寒いときにね。
そんなとき、鳴いている猫はストレスを感じてはいるんだけど、人はちょっと嬉しい。人が人に「好きだ」「愛してる」と伝えたくなるときのストレスと、言われた自分の喜びを考えれば「大体あってる」と思えるのではないでしょうか。そんな言われないけどね! きっとそうなんだよ、いいよもう!
はっ。ストレスを発してしまいました。いけない、いけない。
人間の言葉は猫よりずっと複雑ですが、言葉を発する動機は基本的には同じようで、やはりストレスを感じるときに多く言葉を発します。よく言われるのは「付き合いはじめのカップルは、よく喋る」というもの。
人間の場合は「言いたいことを言えない」という抑圧に慣れてしまっていると、相手が黙っていることに不安を覚えてしまい、沈黙が持つやすらぎを見失ってしまうんでしょうね。黙ってただ一緒にいられることは、本当はすばらしいことなのに。そこを誤解していると、コミュニケーションはおかしなものになっていきます。
表現に活かすには
発する言葉の多くは、ストレスに基づく。黙っていっしょにいられることは、いいこと。――という視点で見ると、さまざまな表現の場に潜む「違和感」に気付きます。
争いごとが描かれるフィクションにおいて、強い方が雄弁に語り、弱いものは沈黙する場面なんて、その最たるもの。「弱い犬ほどよく吠える」は本当にそうで、猫もケンカをしているときに大きな声で鳴くのは負けているほうです。
フィクションに限らず現実でも。例えば、怒鳴る上司は弱者なんですよね。彼らの声の本質は、「仕事がうまくいっていない、誰か助けてくれ」という悲鳴です。
声が大きいのは、より遠くにいるたくさんの人に助けてもらわないとどうにもならないから。だからってパワハラが許されるわけではありませんが、ギャンギャンわめいている強面上司にも「弱者が悲鳴をあげている」という側面があることを理解していることは重要です。強面上司と対峙し、冷静に話しあう糸口にできますからね。
様々なSNSが荒れていく理由も、言うまでもありません。強いこと、怖いことを言っているようでも、それらはたいてい弱音です。
たまに「X(旧Twitter)はダメだ、どこかよそへ」などというSNS移住の波が起きますが、どこへ逃げてもユートピアは見つからないのではないでしょうか。"黙っているのが良い"という奇特なSNSがあれば別ですけどね。
人が黙っていても不快ではないことを理解するには、表情とか、ちょっとしたしぐさを見る必要がありますから、それらをSNSに活かすには技術的なハードルが高めです。常に動画でつながり続けるとか、VRがもっと進化したら、なんとかできるのでしょうか。
昔からあるブログなどの日記系の記事にも、ストレスに基づくものをよく見かけます。そして、溜め込んでいたものを吐き出すことが書く動機になっている場合は、気が晴れると「書くことがない」と去って行くことも少なくないようです。
一方で「毎日投稿」などのかたちで自分に書くことを課している人は、ストレスに基づかずに書く傾向があるように思えます。ストレスではなく、自発的・能動的に話題を探すようになるからでしょうね。ストレスに基づかない表現をするためには、自分の言いたいことよりも、他人に求められることを意識した方が良いのは当たり前かもしれません。
そうして考えてみると、様々な"インタビュー"がおもしろいことにも頷けます。
インタビューではインタビュワーがみんなの関心事を探って、クリエイターがわざわざ語りたがらないことを訊くわけですから、「うまくやれていること」(=ストレスを感じていないこと)が伝わる機会が多くなります。当人が当たり前だと思っていることはあまり自発的に語られないので、聞く側には新鮮味があって(しかもたいていポジティブなので)心地良いんですよね。
一方、クリエイターなどがSNSなどで自発的に「制作には○○が必要!」などと語ることは、実は「部下や同僚がうまくやれない」のを見てきたことが理由になっていたりします。普段言っている「お説教」を広く伝えようとしているわけですから、語り手の不快感を察して、聞き手がストレスを感じてしまうのは当然でしょう。結果的に、「上から目線」な話にもなりますしね。
ブログなどの記事で「なにを書こうかな~」と悩んだときは、誰かにインタビューを受けたつもりで、どうってことない日常を思い返して書いてみるのもいいかもしれません。半端なプロよりも、アマチュアで長く続けている人の方が結果的に新鮮なものを書くというのは、普段noteなどを読んでいて強く感じます。
警戒しがちな猫も、「下から目線」で近寄ると意外とそばに寄れるもの。文章などの表現も、きっとそれと同じことなんでしょうね。
(おしまい)








